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ホンモノ右翼とヘタレ右翼の違い ――宮台真司(2005)より

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前便 「ホンモノの右翼とは何か」の続便です

宮台真司先生と北田暁大先生との対談集(2005年刊)より

宮台先生の発言の一節です

少々長くなりますが お付き合いのほどを _(._.)_

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 ホンモノ右翼とヘタレ右翼の違いは「自己決定」をめぐって如実にあらわれます。ヘタレ右翼は「自己決定はいかん、伝統を守れ」と言います。この呼びかけに応じるか否かが自己決定に任されるのでは派入りするので――その意味でこの命令文自体が破綻しているんですが――、ヘタレ右翼は「これが伝統だ」として言挙げされたものを強制しようとします。

 ホンモノ右翼がこういう「つくる会」的なヘタレ右翼ではあり得ないということを述べたのが、ハンナ・アーレントです。伝統や共同性が存在するのなら、むしろ人が自己決定したときこそ、それが不可避に刻印されるはず。彼女は、「伝統を守れ」「共同性を守れ」と叫ぶ輩が何かを強制すること自体、伝統や共同性がとうに存在しないことのあらわれなのだとします。

 こうした志向図式は、社会学者にも大きな影響を与えたカール・マンハイム『歴史主義・保守主義』の影響下にあります。マンハイムは、伝統が人の振る舞いにおのずと刻印されてしまうことを指す「伝統主義」とは異なり、「伝統を守れ!」という命令や強制を「再帰的伝統主義」と呼んで、それが近代主義に一変種としての「保守主義」なのだとしました。

 巷の通念と違って、ホンモノ右翼は、国家のごとき歴史なき人工物への「依存」を退け、国家のごときものを単なる便宜として使いこなす「自立」を賞揚します。ゆえに「自己決定」を重視します。自己決定が自己決定たるがゆえに、他なるものに貫かれてあるようなあり方――〈世界〉に感染するがゆえに〈社会〉のなかで自立するような――に価値を置くんです。

 国家のごときものを単なる便宜と見なすホンモノ右翼は、必然的に革命思想に連なります。これはまさにパトリを護持するための革命です。だから北一輝は、これを単なる破壊としての革命から区別するべく「維新」と呼びます。パトリを護持する理由は何か。一口でいえば、「〈世界〉に感染するための通路」を護持するためなんです。

 「表現」と「表出」という観念を使って説明しましょう。表現とは伝えること。表出とはエネルギーの発露。広場の真ん中でひとり叫ぶ行為は、表現でなく、表出です。でも、そうやってひとり叫び、気がつくと周囲に叫び声が澎湃として満ち満ちるような「表出の連鎖」――ミメーシス(模倣・感染)――があり得る。この表出の連鎖を支えるのがパトリです。

 もちろんパトリを護持するのは、再帰的振る舞いです。再帰性とは、自明性に浸されていた選択前提が、選択対象になることです。だから「再帰的伝統主義」という場合、気がつくと伝統に服しているのと違い、伝統に服するという選択をあえてすることを指します。でも「つくる会」的なヘタレ右翼と違い、ホンモノ右翼は「自己決定はダメ」と言いません。

 別の本でもいったけど、自己決定がおのずと「他なるもの」に貫かれるようにさせるべく、年長世代が年少世代のための生育環境をセットアップする、という意味での再帰性ならば、僕は肯定します。「これが伝統だ、自己決定は認めない」といったたぐいの再帰性ならば、僕は認めません。「近代主義と右翼性を両立させる」には論理的にはこれしかないでしょう。

35-37頁: ルビと脚注は省略

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宮台先生の右翼論 引用紹介は以上です

計3便になりました、 どうぞまとめてご参照くださいませ


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