今年度、ある授業で 「現代日本の道徳と宗教」 をテーマにかかげている
日本研究者でないので、今更いろいろ勉強している
山本七平・小室直樹 『日本教の社会学』を読み終わったので
つぎは、阿部謹也 『「世間」とは何か』に手をだした
阿部先生の思索は、じつにマイルドで馴染みやすい
教養人、文化人としての落ち着きと懐のふかさを感じさせる
(対して、山本・小室の言葉はエッジが立っていて まさに事態を切り裂いていく!)
阿部 「おわりに」 から一節を引用します
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この書では、以上のような状況を明らかにし、私達の一人一人が自分が属している世間を明確に自覚し得るための素材を提供しようとしたに過ぎない。世間をわたってゆくための知恵は枚挙に暇がない。しあkし大切なことは世間が一人一人で異なってはいるものの、日本人の全体がその中にいるということであり、その世間を対象化できない限り世間がもたらす苦しみから逃れることはできないということである。昔も今も世間の問題に気づいた人は自己を世間からできるだけ切り離してすり抜けようとしてきた。かつては兼好のように隠者となってすり抜けようとしたのである。しかし現代ではそうはいかない。世間の問題を皆で考えるしかない状況になっているのである。そこで考えなければならないのは世間のあり方の中での個人の位置である。私は日本の社会から世間がまったくなくなってしまうとは考えていない。しかしその中での個人についてはもう少し闊達なありようを考えなければならないと思っている。
257-58頁
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