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批評とは何か、あるいは佐々木敦がやりたいこと

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今年、佐々木敦さん 『「批評」とは何か? 批評家養成ギブス』 を

ひとつの授業の教科書に指定しました

もはや入手困難は一冊なので、いくつか抜き書きをしておきたいと思います

受講生の皆さんに 届け!


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 「批評って何なのか」ということを、ずっと「よくわからない」って感じで十回話してきたんですけど、依然として批評っていうものはよくわからない。批評という言葉でカヴァー出来る範囲は本当はすごく広いし、「これは批評、これも批評」ということが矛盾してくる場合もある。それぞれの中で「批評って一体何なのだろう?」と問い続けていくことが批評なのかもしれない。ベタな言い方もするとそういう気もします。

 ボクも、批評、批評って言い始めたのは割と最近で、ずっと批評家というよりは映画ライター、音楽ライターと呼んだ方がいいような仕事がメインでした。批評家になろうと思ってなったわけでもないし、自分には批評的なことをやれると思ってなったわけでもない。色々やってきた中で、批評っていう言葉が自分の中でしっくりする状況に立ち至ったというのが本心に近い。

 僕は今自分のやっていることは全部、「批評」と呼んでいいと思っています。でも「こんなのは批評じゃない」って思う人もいるかもしれないし、その人が間違ってるとも僕は思わないから、皆さんは皆さんの中での批評観を育てながら、今後も書いていっていただけたらいいなと。そしてそれを読める機会があったらいいなと思っています。

347頁

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この文章は 何も言っていないに等しい

批評とは何か、わからない、皆それぞれで考えましょう、というのだから

ただし、本書(連続講義の記録)の最終部分にあたる

ここに至るまで、340頁あまりを費やした語り(その運動、その音楽)に

その答えは 行為遂行的に示されているのだ、というのが好意的な読みだ

それはそれでまったく十分なことである

しかし佐々木さんは、そのことで満足しきってしまわない

上の段落に続けてすぐ 自分自身が「やりたい」ことを語りはじめるのだ

たしかに、批評という言葉でくくりこまれるような空間は

たった一つの本質と 一様な構成体から成っているわけではない

そしてその境界面は 多くの孔がうがたれている、もしくは半透膜状になっている

「批評」という開放的な場―― そこで佐々木さん個人が「やりたい」こと

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 僕が最近思うのは、たとえばいわゆる浅田彰的な知性というか東浩紀的な知性というか――何か対象が与えられた時に即座に「これってこういうことね」って言えちゃう類の知性というものがあると思うわけです。それは反射神経と呼んでも、ある種の批評的センスと呼んでもいいのかもしれないけれども、そういうものって、生まれついてのものもあるし、訓練されて育ってくる場合もある。そういう種類の知性によってはぐくまれる豊かさというものもあるでしょう。

 僕はたぶん、ある時期までは「これってこういうことね人間」だったと思うし、今でもある部分はかなりそうだと思います。何かが起こると「これってこういうことね」とひとりごちてしまうというか、すぐに納得してしまって、わかったような気になっているというか。

 「ひとりごちてるだけで、世界はもっと複雑だよ」とか、そういうことを言いたいわけではないんです。意外とわかっちゃうものなんですよ。ある意味で、世界は意外と単純なものだと思う。だから「これってこういうことね」は意外と当たってるのだとも思います。

 複雑で多様で恐ろしく豊かであるのかもしれない世界なりなんなりを、何らかのマトリックスやチャートとかを作って整理して、「それってこういうことだよね」って断言することが批評だっていう見方はあるし、その中での正しさを競う世界もあるのだとは思うんだけれども、僕はたぶん今はそういうことをやりたいとは思っていません。「これってこういうことだよね」と簡単に言えるからこそ、他のことをやりたい、ってい気持ちがすごく強い。つまり、ある意味でわかりやすい単純なこと、「これってこういうことだよね」によって還元されて出てくる真理とか原理みたいなことがあるとするならば、それをもう一度ものすごく複雑にしていきたいんです。
347-48頁
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佐々木さんの「やりたいこと」が 見えてきました

さらに具体的な説明が入ります、ここらが大事なところになりましょう

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 たとえばわれわれがある表現と出会った時に「こういうことを言おうとしてるんだな、こういう意味だったんだな」という還元を行なった後に出てくるものは、ものすごくシンプルなことなのね。それはすごく単純なことなんだけど、そんな単純なことがいつのまにか色々と面倒臭いことになってゆくのが人生だったり世界だったりするのだから、それを語るために、ものすごく複雑で手の込んだ方法論が必要になってくるのだと思うのです。

 小説にしても映画にしても、そういうことをやってる人って意外と多いような気がするんです。「結局こういうようなことを言ってるだけじゃん。それって難しいことじゃなくて、誰でも知ってるようなこと。ある意味では取るに足らないようなことじゃないか」ってことだとしても、ならば何故そんなにややこしい手の込んだ方法論で、それを語らなきゃいけなかったのかということの方を考えなきゃいけないと思うんです。

 おそらく、還元した時に出てくるシンプリシティってのは、しょうがない。それはそういうものだと思う。でもそれを最終的にわからせたいわけじゃなくて、向きが逆なんだと思うんです。ある意味では取るに足らないシンプルな真実っていうものを、絶えず再確認するためにこそ、複雑な手続きが必要なんです。メッセージとしては極めて単純なことを言っているのにすぎないんだけれど、それを言うためにものすごく面倒臭いことをやってるっていう、そういう表現をしている人が今は多いような気がしているので、それに対して批評の言葉でいかにして応接していけるのか、そういうことを最近は考えているところです。

348-49頁

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引用は以上です

最初に述べたように、入手しづらい本なので 長く引用させていただきました


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