先日 「1970年の東京 ―浅田次郎 『霞町物語』 より」というエントリを書きました
それへの補足です
宮台真司先生(59年生)は 『終わりなき日常を生きろ』 のなかで
70年代の若者文化について書いています
そこで披歴される記憶/感覚と 浅田次郎さんのものとは
きれいにつながっているように思われます
なお、上の文庫は98年刊ですが 原著は95年に出されたものです
====================
ところが、彼ら[95年本書執筆時の元ブルセラ聴講生、20歳前後?]と同じ年ごろだったとき、私たちの世代は対照的だった。私が小学校三年のときアポロが月に着陸し[69年、四年生の間違いか?]、五年のときに万博があった[70年]。一〇年たてば人類は火星に行き、二〇年もたてばスペース・コロニーに植民すると言われていた。未来は輝かしかったのだ。少女マンガにも「やさしいママと頼りがいのあるパパと誰からも好かれる良い子」からなる輝かしい家族が描かれ、究極の恋愛とは、そういう家族を営む永遠のパートナーを見つけることだと思われていた。確かに私たちは上の世代と比べられ、七〇年代前半には「シラケ世代」と呼ばれている。だが、むしろ「輝かしさ」を夢見た世代だったからこそ、革命幻想を生きた団塊の世代への羨望のゆえに、屈折したのである。革命のまぶしき輝かしさの「代わり」に、等身大のちょっとした輝かしさを――というわけだ。
かくして私たち世代は、本当にほしかった輝かしさの「代替物」として、のちに「八〇年代バブル」のシンボルとして記憶されることになるさまざまな等身大の動きを立ち上げた。七七年のサーファーブーム、七八年の第一次ディスコブーム、八一年のハイソカーブーム、八三年の女子大生ブームとブランドブーム、八四年の第二次ディスコブーム……。これらを立ち上げた一部の者たちはあくまで「諦念」と共にあったし(田中康夫)、本気でノッた者たちも八七年ごろからブームが下火になると急速に「虚脱」し(中尊寺ゆつこ)、バブル崩壊で決定的に「梯子を外される」(山本コテツ)。そもそもバブルのお祭り騒ぎをリアルに生きられたのは少数で、「なんか周りは楽しそうだけど、俺はどうせこんなだし」という者たちが大半だったのだ。だからこそこの時代、私たちは、ネアカ/ネクラという区別や、新人類/オタクという区別によって脅迫されたのである。結局のところ、未来の輝かしさを信じた私たちは、「輝かしさに裏切られた世代」だったということだ。
99-101頁
====================
なお、この本について書いた私の短評は こちら です
コメント欄がとても有益ですので どうぞそちらもご覧下さいませ